パニック障害

2回目の転院:障害年金は受給できたけどダメダメ~

ムカイヤマ(@3kyotoiju)です。

今回は、2回目にY病院からM医院に転院してどうだったかについてお話しします。

1回目の転院=2つ目の病院についてはこちらで。

1回目の転院:うつ病併発とホルモン投与パニック障害が改善しなくて1回目の転院をしました。相性が悪かったのかうつ病を併発して、人生で一番しんどい時期を過ごしました。...

ネットで見つけた2回目の転院先

Y病院では、薬漬け、うつ病併発、精保手帳の取得に非難という、最悪な時期を過ごしました。

自己判断でホルモン投与をせざるを得なくなり、ネトゲ廃人だった時期でもあります。

ますます悪化してるようなので、ネットで精神科を探し、家からの距離とレビューを見つつ、見つけたのがM医院でした。

紹介状を書いてもらうことなく、M医院に飛び込みました。双極性持ちの母もともに転院です。

障害基礎年金を申請してみたら?と提案される

M医院のMA先生は、小太りのおじさん先生でした。

夫婦で医院をやっているのか、奥さんは薬を出して会計をしていました。薬剤師さんだったのかな?看護師さんらしき人はいませんでした。

病院から医院に変わると、スタッフが少なくても大丈夫なものなの?とちょっと不安に思いつつ。

初診では、Y病院で処方されていた薬、パニック障害であること、性同一性障害ですでに名を変更しており、ホルモン治療を産婦人科でおこなってることなどを先生に言いました。

そして、一番困っているのはお金で、精保手帳3級を取得しても全然恩恵がなくてつらい、と先生に伝えました。

そうすると、

「ムカイヤマさん、国民年金はずっと納めてるよね?通るかどうかわからないけど、障害年金を申請してみたら?」

と障害年金の申請を提案されました。

障害年金は、存在自体は知っていましたが、私がもらえるとは思っていなかったので、「えっ、もらえるかもしれないの?」と驚きました。

そして、薬を整理してもらって、障害年金の申請に必要な書類一式をもらって帰りました。

自力で申請して障害年金を無事受給

障害年金は書類をそろえるのに大変でしたけど、プロの力を頼らずに申請して、無事受給が決まりました。

会社員経験がないため、障害基礎年金2級です。

同時に、精神保健福祉手帳の等級を年金の等級にそろえるために、等級変更手続きもおこなって、手帳も2級になりました。

ムカイヤマ
ムカイヤマ
年金証書は絶対に失くさないでね!


障害基礎年金2級 証書

「外に出ろ」は医師が言うこと?

障害年金の申請はよかったものの、MA先生はというと、パニック障害を理解していないのか、何度も何度も

「なるべく外に出てね」

と言われたのを覚えています。

精神疾患の当事者をたくさん診ている精神科の医師がですよ?

だーかーらー、発作出るかもだし、予期不安あるし、外に出たくても出づらいのわかってよ!

外にすんなり出れたら病院いかないし、薬も飲まないわ!!

一般の健常者と同じこと言うなよ!!!

と言い返そうとするのをこらえました。

無理解の医師から「外に出ろ」といわれるのはつらいんですよ。精神科以外の科の医師でも無意識に言われて、あっさり傷つきます(笑)。

パニック障害をプロである医師が理解してなかったら、誰を信じたらいいの?になりますよ。

医師や病院への不信感は、最初のMO病院から現在もずっとあって、治してもらおうと依存するのではなく、「病院も医師も生きるために頼るものの一つ」としてわりきるようにしています。

信じる信じないは、外に出れない自分もちゃんと信じてあげるのが、心の持ちようとしてはベストだと考えています。

吸う姿は見せないで

あ~、この先生もダメだなと思いつつ、薬をもらうだけにしとこ、とあきらめました。

あまりに「外出ろ」といわれるので、医院の建物内で発作を起こしたこともありますよ(苦笑)。母が一緒にいたのでなんとか乗り切りましたけど。

それと、MA先生は患者がいないときは、建物の外にタバコを吸いに行くんですよね。

医師でも喫煙してもかまわないけど、患者の前で吸う姿を見せるのはよくないでしょ?

だからMA先生と診察すると、タバコ特有のあの匂いがするんですよね・・・。

嫌だったな~。

ひそかな楽しみもあった

M医院にいくときは母と一緒で、帰りにイオンや大型書店に寄って、本を見たり買ったりするのが楽しみでした。

ある程度の距離なら、運転するのは大丈夫になっていました。

田舎なのでバスや電車に乗ることはなく、移動は自動車オンリーでした。

それでもちょっと不安感はありましたけど。

調子が悪いときは引きこもっていました。

移動を最低限にしてるので、大きな発作が出ることはなく、症状は落ち着いていました。

このまま一人ぼっちでいくのかな

でも、根本からは治っていないし、遠いところには行けません。

当時は31~32歳頃(2008-2009年頃)です。

パニック障害は治らないんだな・・・

このまま富山にいるのかな・・・

このまま親の面倒見て死んでいくのかな・・・

お金を出してくれるお父さんの言う通りにしていないといけないのかな・・・

そして一人ぼっちになって孤独死しちゃうのかな・・・

私の存在に意味があるのかな?

いてもいなくても同じならいなくなってしまいたい・・・

と先を考えると不安だし、落ち込むし、つらいしで。

アムカはしないけど、先を考えると一時的にひどくうつ状態になることがあり、つらかったです。

ツレとネットで出会ってからの実家出て同居

でーすーがー!

人生は何があるかわからないものです。

当時mixiが流行っていて、Twitterが日本に上陸しました。

ミーハーなので、iPhone3GSをいち早く持つようになり、文明の利器ってすごいな~と実感してましたね。

2009年の夏頃にmixiのとあるコミュニティで、おもしろい事を書いているツレを見つけて、メッセージを送りました。

それからなんやかんやありまして、ツレとパートナーとして付き合うことになり、実家を出て同居を決めました。

とにかく親から離れることが最優先だったので、同じ富山県内・高岡市内で家を決めてからの同居です。

私のために泣いてくれたのはツレだけだった

ツレは私が実家にいると、メンタル的によくないし、症状が悪化してしまうから、出たほうがいい、と断言しました。

ツレも社会不安障害持ちなので、薬を飲んでいたので、私の境遇や状態を聞いて涙してくれました。

私のために泣いてくれた人は、先にも後にもツレだけでした。

私も、ホルモンの影響で感情の波がなくなっていたのですが、ツレの前では素を見せて泣きました。

ツレは人間関係さえ良好であれば、ふつうに仕事ができるし、一人暮らし経験があるので、そつなく生活できる人です。

メンタルではなく、性別のことで悩んでたので、全面協力していきました。

距離が離れてるけどよい治療を受けるために転院しよう

ツレも京都の病院から転院してM医院で薬をもらっていました。

何回か2人でM医院に行ってたのですが、MA先生への不信感をツレも抱くようになり、「このままじゃあかんね、転院しよう」という話になりました。

2人でネットで精神科を探して、遠いけど、富山市内のTN医院が、県内では一番マシな精神科じゃない?と発見しました。

当時の家から車で1時間近くかかる場所にありましたが、ツレがいてくれるし、より良い治療を受けるために、転院を決めました。

MA先生は、TN医院は統合失調症の患者さんが多いだのとぶつぶつ偏見をいいながら、しぶしぶ紹介状を書いてくれました。

MA先生はパニック障害に理解がない、統失に偏見があるという、もうダメすぎますね。

お先真っ暗だけは逃れられた

MA先生でよかったのは、障害年金の受給を提案してくれたことだけで、あとはダメダメでした。

あと、性同一性障害の話はわかってくれないと思い、そんなに話をした覚えはありません。

MA先生は相性が合わなかったのでしょうね。仕方ないです。

でも、M医院に通院してたときは、「ツレと出会って実家を出て同居する」という、人生の大きな出来事があったから、お先真っ暗にならなくてよかったです。

そして、距離がある富山市のTN医院に転院しました。

TN医院についてはのちの記事でお話しします。

それでは!