パニック障害

1回目の転院:うつ病併発とホルモン投与

ムカイヤマ
ムカイヤマ
1回目の転院。一番しんどかった時期だなあ。

ムカイヤマ(@3kyotoiju)です。

今回は、1回目の転院、つまり、2つ目の精神科に転院してどうだったか、についてお話しします。

パニック障害が治らないから転院を決意

パニック障害を発症して精神科(MO病院)に初受診して、臨床心理士のK先生のカウンセリングを受けて、改善はちょっとだけしました。

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もらった薬が効いてるのかどうかはわかりませんが、K先生と毎回話しているのが効いてるのかはわかりませんが、少しは改善しました。

車で5分の場所にある病院へ、1人で運転して行けるようになったことです。

発症して1年~1年半くらいは運転ができなくて、家からほとんど出れなかった状態でした。

病院に1人で行けるようになった以外は、電車やバスには一切乗らず、もちろん大学には行けず、乗り物や閉鎖空間で発作を起こしそうな場所には行けませんでした。

性同一性障害については、K先生の尽力とブクブク先生の適当な協力で、なんとか戸籍名の変更までこぎつけました。

改名できたこと自体はうれしかったですが、改名してもパニック障害が治ったわけではないので、現状はあまり変わらなかったです。(改名についてはLGBTの話をするときに記事に書きます)

このままMO病院に通ってても治らない、どうしよう、と親と話したところ、母が双極性障害でお世話になっているY病院にいるTU先生ならどうか、と転院を決めました。

転院先ではうつ病だと思われて多剤投与された

Y病院は病棟がある精神科の病院です。病棟には精神疾患が重い患者さんが入院しています。MO病院と同じです。

TU先生はY病院の院長をしており、外来患者も診ていました。

TU先生と対面するのは実は初めてではなかったのですが、きちんと診察してもらうのは初めてでした。

紹介状を見て、私の話を聞いてどう診断したのかはわかりません。

パニック障害のパの字も出なかった覚えがあります。うつだと診断されたのかもしれません。薬はたしか、夕食後は3~4錠、寝る前は2錠出された覚えがあります。

一番薬を飲んでいた時期でした。

パニック障害が治らず、大学も退学し、治療中というメンヘラ無職になっていました。

改名して男には近づいたけど、ただ生きてるだけです。

地方は運転を強いられてメンヘラは引きこもりになりやすい

車で運転できる範囲は伸びましたが、運転には多少不安がありました。調子が悪いときは運転できませんでした。

富山にいると、公共交通機関が壊滅的なので、運転できる・できないで行動範囲が全然違います。

だから無理してでも運転できる必要がありました。

実家の近くには、1日にバスが2本しか来ません。しかもスクールバスだけという。ひどいもんです。

実家のような田舎は、メンヘラだと引きこもることを強制される場所で、しかも、話す人が親しかいないので、メンタルがどんどん追い詰められていきます。

うつ病を併発した。誰にも話せない。

話を戻して、Y病院に転院しても症状はよくなりません。パニック障害は改善しないし、うつの症状が出るようになりました。

私のうつ症状は、自己否定ばかりして、身体が動けなくて、希死念慮が出てました。

LGBT当事者の中にはいまでもメンヘラを差別する人がいる

一人っ子の私は、つらさをリアルで話す人がいなかったんです。

パニック障害やうつだけならまだいいです。でも、LGBTも重なると、誰に話していいのかわからないんです。

まして富山という田舎だと、LGBTはまわりに1人もいません。LGBTの存在はネットではいましたが、メンヘラと重なってる人はいなかったです。

LGBT内でのメンヘラ差別があったのもあります。LGBT内のメンヘラ差別は、残念ながら現在でもあります(2018.11時点)。

現実は、LGBT当事者は、社会の偏見から心を病む人が実は多く、精神科にお世話になってる人が少なからずいるにもかかわらず、です。

あと、MO病院のK先生のカウンセリングを転院しても受けていましたが、どうやら保険適用外になりそうだ、ということで、K先生のカウンセリングを卒業することになりました。

K先生のカウンセリングは、その場ではスッキリするものの、結局は効果がなかったことになります。

LGBTの理解がないとあきらめていたので、最後までどこかで信頼しきれなかったんだと思います。

夜中にうつ状態がひどくなりがちだった

両親ともパニック障害を理解できていませんでした。今でも理解していないと思います。

両親は同級生で60歳を過ぎ、父は定年退職して働かなくなり、夜は早々に寝てしまってました。

夜、寝る前になると、1人で自分を追い込んでうつ状態になり、つらくてつらくて、アームカット(アムカ)をしたことが何度かあります。

そして、翌日になるとうつ状態がひどくて、父にY病院に連れてってもらい、点滴をしてもらってました。

アムカしてない時でもうつが状態がひどいと、点滴をしました。

安定剤の点滴なのかどうかはわかりませんが、症状がひどい患者には点滴をしていたようです。

思い返すと、Y病院に通ってた時期は、うつ病を併発していました。

外に自由に出れない、働けない、お金がない、
身近に話せる人がいない、親も理解がない。

改名しても症状がよくならない。

ない、ない、ない・・・

私なんぞこの世にいなくても、価値がないし、無意味だし、とうつ状態になってしまってました。

人生で一番しんどかった時期でした。

そしてネトゲ廃人になった

ただ、救いだったのは、ネット回線がテレホーダイからCATV回線になり、念願の24時間ネットがつなぎ放題になりました。

つなぎ放題になったのはいいものの、たまたま行ったネットカフェで見た広告に目が止まり、オンラインゲームを始めて、あっさりネトゲ廃人になりました。

外に出れない、働けない、となると、逃げ道がネトゲしかありませんでした。

ネトゲだと中の人がいて、チャットで会話してるので、寂しくなかったです。

私がFTMであることは、ネトゲ内で仲良くなった人にだけ話してました。なぜか純女のプレイヤーと仲良くなり、彼女たちとゲーム内でいろいろ話して遊んでました。

キャラは強くなくて歯がゆかったですけど、自分なりに楽しめました。

ちなみに、富山に住んでいたのが幸いしたのか、ネトゲの中の人とは最後までリアルで会うことはありませんでした。

ネトゲをすることで精神的には落ち着いてきました。

月経前症候群のうつ状態を止めるためにホルモン投与

でも、私には月経があり、生理前になると月経前症候群でうつ状態が出てました。深刻ではなかったですけど、しんどかったです。

名前が男になってるにもかかわらず、月経前症候群のうつで苦しむ、というちぐはぐな感じでした。

そこで、ネットで知り合った九州のFTMの人と、スカイプで通話する機会があり、何度か話しました。

彼はテストステロン(男性ホルモン)投与のみで、私のしんどさをよく聴いてくれました。

また、彼からホルモンの作用・副作用をよく聴きました。

彼と話してて「もう打つしかないね、これ以上うつで苦しみたくないよね」という方向にいきました。

パニック障害は仕方ないにしても、うつ状態はなんとかしたくて、最後の手段として、テストステロンの投与に踏み切るかどうか、迷っていたんです。

月経前症候群のうつを止めるには、テストステロン投与の作用で月経を止めたら、うつ状態がマシになるかもしれない、と考えたわけです。

ホルモン投与でうつ状態が改善した

何度も何度も考えて、悩んで悩んで、TU先生の許可なく無断で、自己判断で、意を決してS病院の産婦人科に電話をしました。

「私は性同一性障害です。名前もすでに変えています。月経前症候群に苦しんでいるので、テストステロンの投与をお願いしたいです。」

と電話して、母とともにS病院にいって、テストステロンの投与を開始しました。2006年1月のことです。

身体はじょじょに変化していきました。と同時に、精神面は落ち着いてきました。

アムカするまでの深刻なうつ状態になることはなくなっていきました。

うつ状態になることはたまにあるけど、以前に比べたらずいぶんとマシになりました。

(注:LGBTの記事を書くときに話しますが、富山という性同一性障害(GID)専門の精神科も、産婦人科・泌尿器科もいないところだと、自己判断で治療に踏み切るしかありませんでした。

もしも今のように京都市に住んでいたとしたら、大阪府内にある専門の病院に行くところから始めていたと思います。)

精保手帳が人生の汚点?意味わからん

自己判断でテストステロンの投与に踏み切りましたが、TU先生は怒りませんでした。

だって、薬をいくら飲んでもよくなるどころか、うつ状態になって悪化してるんですから。

うつ状態がよくなったのは自己判断でテストステロンを投与し始めたからであって、TU先生がよかったから、ではありませんでした。

精神的に落ち着いてきて、1人で運転できる距離ものびましたが、パニック障害は改善しません。

パニック障害については、どうしていいのかわからなかったんです。

精神保健福祉手帳3級取得

金銭面の負担を減らそうと、精神保健福祉手帳3級を取るときも、「あなたの人生の汚点になるよ」と訳のわからないことをいわれたのも嫌でしたね。

手帳の存在を知ったのは、ネットです。病院からは「手帳を取得したら?」とは一言も言われませんでした。

なんで手帳を持つことが汚点なのか、意味がわかりません。

診断書を書くのが面倒くさかったのかな?わかりませんけど。

手帳は無事取得することができました。

そしてまた転院を考えて、ネットで調べて、Y病院に近いM医院に転院することを決めました。母も一緒に転院です。

パニック障害をなんとかしたい一心で。

2回目の転院へ

Y病院、TU先生に診てもらってた時期は、人生で最もつらい時期でした。読んでいてつらくなったかもしれません。

でも、いまはそんな時期もあったな~と受け止めています。

もう富山にいないし、あんなつらい時期には戻らないからで、過去のことだからです。

M医院の話はこちらで。

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